4月21日と22日に岩手県一関市に行ってきました。ここに私の実家があり、実家の被災状況と親の様子を見るためです。3月11日の時よりも4月7日か8日の方が大きな地震であったということです。93歳の老母はケアハウスに入っていて安全でした。昔私が育ったころは大地震等ありませんでした。最近、とくに3年ほど前の宮城岩手の県境付近での大地震以来痛めつけられ通しです。そのとき山は各所で崩れましたが、その対策工事が終わらないうちにまたも大地震です。
実家の敷地の石垣の一部が崩落し、地面には亀裂が入り、大雨が降れば、石垣が一気に崩れる危険があり、すぐに石屋さんに応急処置を頼みました。この石屋さんは、市内各所の墓石が散乱したためてんてこ舞いの忙しさです。実家の庭の周囲の石塀は全部倒壊しました。ただ実家の建物は岩盤の上にあるため損傷は免れました。
21日夜は、老母や兄弟達と厳美渓(日本百景の一)奥の瑞泉閣に泊まりましたが、此処には
陸前高田や気仙沼といった大津波で被災した人々が多数避難していました、。時間が少し経過したせいか大分気分が落ち着いていたように見えました。また、遠方から沢山の警官が応援に
きていました。このホテルの駐車場には何十台のパトカーが来ていました。
高速道路は通行できますが、路面は荒れ、各所で路面の起伏を感じました。重要なところから補修工事をしていますが、復旧するまでは相当の時間がかかりそうです。
なぜ日本がこんな災難に遭うのか、4個のプレートが日本列島の下で重なり、互いに
押合っていて、弾みでずれた時に地震があるということで大自然のなせる業ゆえ、いかんともしがたいのですが、原発事故とからめて考えるとますます気がめいってきます。東電とて、大地震や大津波の被害者ですが、その後の放射能処理の問題で加害者的立場になっています。端から見ていると、東電の社長の初動が相当マイナスになっているように思われます。報道のされ方で住民感情は変わります。ともかく原発なしに電力需要を満たせない状況下で原発をつくった結果が取り返しのつかない結果を生んだのは皮肉です。
政府は震災対策で奔走しているのは確かですが、指揮系統の乱れは否定しがたい状況です。対策部門が統一されず、リーダーが不在なように見え、与野党各政党も一丸となって危機打開に動いているとは見えません。震災前でさえ政治が迷走していたのに、震災による国家的な危機に方向が定まらずふらふらしていたら、日本は本当に大変なことになります。世界中で日本が注目されています。やはり、日本および日本人は違うのだ、いざとなれば団結して国の危機を克服するんだという姿を見せたいものです。 (平成23年4月24日)